2006/12/13  ディバッグ


一人のむさ苦しい男がいた。比較的若い男である。
彼は明るい灰色の、ポケットのたくさんあるディバッグと共に放浪していた。

彼のディバッグの中身はこうだ。自分が襲われた時のための、ASP警棒。最長・最強の物が入っている。
そして、彼自身が彼を殺めるために使う紐。スリングロープという荷物釣り・玉がけ用の紐で、負荷重量は800kg。男の体重の10倍程度に当たった。
その他、二日程度分の着替えと、少々の食料、それにサクマドロップスの缶に半分ほど入った、大量の睡眠薬。

彼は、産湯からずっと好きだった風呂に、最近林立しているスーパー銭湯などを歩いてはしごして生きていた。
宿泊できるところではその施設に泊まったが、それ以外では公園などに泊まった。
故に、ASP警棒が活きるのであった。
相手が単騎の時には警棒を展開すれば大抵相手は逃げた。約80cmのそれは、武器と言うより凶器だ。死を予感させる。
だが問題は3人以上の時だった。2人なら、まず先制でしゃがんで一人の相手のスネに一撃加える。
するとおおかた相手は地を這い転げ回るので、もう一人がそれ以上攻めてくることはない。
だが三人より多い客が来てしまった場合は訳が違う。彼は正規に構え、長期戦を覚悟する。
彼は剣道の有段者であり、かつ警備会社での勤務歴がある。一撃を加えるのにためらいはないし、間合いも正確に測れる。

そんな今日も、午前二時に極楽湯を追い立てられて近くの小さな公園で震えていると、金髪プリンの輩が4人、公園に入ってきた。
彼は即危険を察知して、ファスナーを開け警棒を手にした。縮めた状態ですら拳三つ分の長さがあるその警棒に。
「おうおっさん、こんなところで寝てんじゃねーっよ!」
突然蹴りこんできたかに思えたが、彼には気の込め方で悠々と察知できた。彼は顔の横に警棒を縮めたまま両手で持ち、一撃を受け止めた。
甲の薄い靴で蹴ったのが失敗だったのだろう、蹴りを放った男は片足を抱えて地を這い、仲間は唖然とした様子でそれを見ていた。
「よくもっ」
残りの三人が同時に突っ込んで来るも、これも彼には見える。先頭も後尾も無視して、真ん中の男に集中しないといけないことが。
しかし、とりあえずそこにいられてはジャマなので、警棒展開で先頭の男の膝頭を一撃し、回り込んで後ろの男の背中を強打した。
これで一対一だ。
相手のかかとが浮いている。ステップさえ取っていないが、重心と言い間合いと言い、ボクシング系格闘技の経験者なのは、彼には明らかだった。
冬の冷たい風が吹く。警棒を正位置に構えた彼と、若干前屈みの敵との、暗い中での睨み合いは続いた。
その時、男の後ろで倒れていたのが僅かにうなり声をあげた。男は一瞬後ろを向きそうになり留まったが、重心は下がっていた。
むろん彼はその瞬間を見逃さなかった。いやむしろ、そういった瞬間を探っていたのだ。彼が踏み込んだ時男は拳を挙げたが、それは警棒の餌食になるだけだった。
甲高い音が公園に響いて、戦いは終わりを告げる。男は歯を食いしばりつつも打たれたところをおさえ、他の男に蹴りを入れて去っていった。他の弱者達も。
彼は、ふぅ、と息をついた。ここまでにしておこうか、と。
スリングロープの構造は簡単だ。太い合成繊維の紐の両端に輪っかが付いている。長さは短い。
彼がホームセンターでこれを見つけたとき、彼は小躍りしたものだった。

彼は輪っかを作った。
そしてサクマドロップスの缶を開けて水を注いだ。ふたを閉じよく振ってから飲んだが、彼はむせた。
もう片方の輪っかを丈夫な「何か」にひっかけて足を滑らせれば「ここまで」になる。そこまで来たときに目に付いたのが、
回転遊具のてっぺんのとんがりであった。斜めになってしまってちょっと苦しいかもしれないが、と彼は思ったが、よじのぼるとそこに輪をかけた。
首にもう一方。遊具に一方。
その状態で彼は遊具の上の方に腰をかけた。遊具が少しだけ回り出す。
「あ、しまった遺書を書かないと」
彼は珍しく焦ってディバッグをおろそうとしたのだが、腰の方が先に滑り落ちてしまった。
ガクン、と、彼も遊具も揺れた。キィー……という金属音が、まもなく夜明けになろうという公園に響いていた。