我が輩は  2006/10/09


我が輩は精神障害者である。手帳はまだない。
手帳がないと我が輩の障害を証明するものがない。なかなかに困るのである。
あの手帳は、「障害者手帳」と言って、単に障害の程度と種別が記される。身体・知的・精神。後ろにつくのは障害の一語である。
時折誤解があるのだが、障害者年金と障害者手帳は一緒のものではない。年金は年金、手帳は証明書のようなものだ。
あの手帳は、タクシーやバスなどで提示すると、値段が安くなる。タクシーにしてみれば嫌な客だろうが、
我々の仲間には「電車が使えない」という者も多いと聞く。同じ境遇の者の肩を持つではないが、タクシーには涙を飲んでもらうほかなかろう。
ちなみに今日は診察日である。そろそろ今日辺り、手帳の話が出てもおかしくない。

診察室に入ると、少しいつもと様子が異なる。我が輩の主観がおかしいのかもしれないが。
「手帳ねぇ、ダメだった」
主治医が開口一番言いのける。何故ダメなどと、と思うが冷静さを欠いた対応は閉鎖病棟への直行便になる。落ち着きを装って
何故ですか、と聞いた。
「君の場合、障害の程度自体が軽いし、薬で十分コントロールできるから、通らなかったんだよ」
手帳に代わる手帳はないのですかと伺ったが、主治医は首を横に振った。
併せて出していた年金申請は、無理だからと主治医が破棄していた。

我が輩は精神障害者である。手帳はもう得られない。
長期の財政計画もこれで破綻である。負荷の高い仕事について稼がなければ、生きていくことが出来ない。

 「我が輩」を助ける者を登場させる
 「我が輩」のあるがままにする