眠気  2006/10/14


運転席の男のまぶたは、閉じそうなほど細くなっていた。
その男はハンドルを握り直して眠気を払おうとするが、全く効き目が無かったようだ。
「先輩、運転代わりますよ…」
「大丈夫だって……うん、大丈夫だ」
助手席に乗る、後輩に当たるその彼は、先輩とやらの答える、微妙な間が怖く感じた。
ふらり
  ふらり
対向車線にはみ出す。
彼は、あまりの怖さに別のことをして気を紛らわせようとした。
ノートパソコンを取り出し、起動。
が、ふらふら運転されるものだから、OSが立ち上がる前に気持ち悪くなり上ふたを閉じた。
ふらり
  ふらり
後輩・先輩と言っているが、彼らの関係は完全に上司と部下、チーフとヒラである。
チーフが大丈夫と言えば大丈夫だとしか受け取りようがない。
そういう世界である。
「おおぉそうだ、次の仕事先……全部資料……あるよな」
「は、はいあります! 契約原本に対象製品一覧に、えーとそれから」
「それだけあれば……いい……から」
「チーフ!」
おっと、とチーフは言ってハンドルを左に回した。すぐ右を、大型トラックがクラクションを鳴らしながら通り過ぎていく。
「先輩、運転代わりますって」
「大丈夫だって言ってるだろう……今まで事故起こしたこと無いんだ……から」
車が坂にさしかかるのを彼は感じた。下り坂である。
彼が予感したとおり、車の速度はどんどん上がっていった。チーフは寝息を立てている。
彼がスピード計を覗く、そこには85km/hから更に増していくデジタル表示があった。
急な曲がり角が遠くに見えたとき、彼はやむなく行動を起こした。
彼は、力一杯サイドブレーキを引いた。
ぐっと速度が落ちる感覚があった直後、バン、バンと2回後ろから音がした。
その後は金属が地面を激しく引っかいているような音がし、その後車は止まった。
彼の乗る車が暴走していたおかげでか、後続車に追突されることはなかった。
「……んお、車が止まってる……お前何したんだ!」
チーフは寝起きを起こされたからなのか車を止められたからなのか、相当不機嫌な声で言った。
「それどころじゃないですよチーフ! あんなヘアピンカーブにここから85km/hで入って抜けられませんよ!」
「そんなことやってみなけりゃ」
「分かります! 私の前職をお忘れな訳ではないでしょう!!」
「うっ……だがハンドル操作で何とか……」
「無理です、横滑りして激突するのが関の山です」
彼の前職は車の整備士。その前はカーレーシングの世界に身を投じていた。
「お前の話は分かったが……この状態をどうしろと言うんだ、仕事先もあるのに」
後続車が絶え間なくクラクションを鳴らしている。対面二車線の山道に、車を待避させる場所など無い。
「この道には5kmほど先に待避所があります。私がハンドル操作をします、チーフが押して下さい」
「何、お前がハンドルか」
「後ろ落ちてますからほとんど自然に減速しますけど、そうでないに私しか操作できませんから」
ではよろしく、と彼は言った。
彼はルームミラーで汗だくになっているチーフの姿を見て、心の内で満面の笑みを浮かべた。