給料制  2006/11/04


うちの出版社は給料制を取っている。むろん話は編集者ではない、小説家の私についてである。
固定給が保証されると気分は楽だ。最初の投稿からこの会社でお世話になっている私としては、
もはや他社と契約する気にもならない。
ただその分印税は低い。他社が少なくとも5%くらいは出すらしいが、作品によるが大抵は1%を切る。

だが、言われる頃だろうとは思っていたのだ。

「先生、もうそろそろ新作でも続編でも書いていただかないと……」
近くのファミレスに呼び出された私は、担当の編集から『宣告』を受けた。
三年。これが給料を保証する期間である。三年間のうちに、編集の言う新作でも続編でも書けば、給料制は維持される。
だがこの三年を、何も作品発表せずに過ごしてしまうと、以後永久に給料制の対象から外れてしまう。
印税率は上がるが、生活は不安定になる。作家らしいと言えばそうだが。
「いや、ちょっと待ってくれ、構想はあるんだ」
「先生はもう二年と九ヶ月発表がありませんから、ある程度の大作を書いていただかないと」
編集の声が冷たい。無理だろうが、と言った口調である。
「構想はもちろん大作ネタだよ、出来れば連作にしたいのだが……」
「それは無理です。連作の枠は、波に乗ってる別の先生で埋まっています」
言葉にも棘を感じる。私は波に乗っていないそうだ。
「それじゃあこの三ヶ月で、どのくらいのものを仕上げれば良いというのだね」
「二千枚」
な、と一声上げるなり私は硬直してしまった。二千枚といったら既に単発の大作の域を超えている。しかも私のペースから言って、
三ヶ月で二千枚は絶対に不可能だ。せいぜい千枚がやっとだろう。
「君たち編集部は私の追い落としを考えているのか? これまで共同歩調でやってきたじゃないか」
「書いていただけない先生方に、給料保証制度をご利用いただく余裕は、我が出版社にはございません」
「それだけ印税を削ってるじゃないか、私の過去の作品はそれだけ貢献しているはずだぞ」
「……過去を仰られても……我々編集は出版不況の『今』に立ち向かわねばならない立場にありまして」
「話をはぐらかさんでくれ。印税収入を給料に回せばトントンだろう。そこに何故二千枚のノルマが課せられるか、解せん」
「編集長の方針で……私にはなんともしがたく」
「じゃあ編集長に電話を繋いでくれたまえ、私が直接話を付ける」
しぶしぶ、といった様子で編集は携帯電話を取り出すと、何かしら言葉を続けてから、私に電話を手渡した。
「どうもどうも、先生、伺いもせずに申し訳ありません、編集長の有馬でございます」
「どうも有馬編集長。今あらあらの話を担当編集から聞いたのだが、これは一体どういうことだね」
「どう、と仰ると?」
「ノルマの件だよ。初めての契約の時からそんな話は無かったじゃないか。短編でも何でも、繋いでいけば良いという話じゃ」
「それが申し訳ないことに、各担当部署の編集長が集まります編集長会議で、今後給料制は廃止の方向で行こうという結論が出まして」
「結論? 勝手に結論づけられても困るよ、有馬君。君とは投稿の時代からの仲じゃないか」
「わたくしと致しましても、特に純文学の素晴らしい作品を多々世に送り出されてる先生方にこそ、この生活保障の給料制は向いていると思うのですが、如何せん他の部署がそれを許さず……」
「では私はこれから、1%を切る印税と、生活保障のないシステムで作品を出せと」
「いえ、これから出してくださる作品に関しては8から10%の印税をお払いします」
「今までの作品は」
「それは、お許し願いたいところで……」
「話にならんな、版権を引き上げてよそに移らしてもらう。もう版権保持の期間も大概過ぎただろう」
「申し訳ありませんが、版権は当社永久保持で……」
腰が抜けそうになった。版権が手元に返ってこなければ、他社に移ることもままならない。
「ならば……二千枚はどだい無理として、新作を次々出していけば、新しい方針とも合致するわけだ」
「左様でございます」
「分かった。あと担当を変えてくれ、かんに障る」
「分かりました」
私は担当に−−もう変わるのだが−−携帯電話を返した。

困ったな。
編集の手前、やれ構想はあるだの、新作を出せばだのと言ったが、何もない。
このままだと飢え死にすること間違いなしだな、あまり貯金もしていないし。

「暴露本でも書こうか……」
タバコに火をつけ、煙を吹き出しながら言った。
「それは止められた方が」
「黙れ若造、二千枚のノルマ、別に今の作風でなければならんとは聞いていない」

こうして私は二千枚のノルマを完遂すべく『暴露』を続けた。文学界にある程度身を置いていると、内容には事欠かない。
新しい編集も不安げな面持ちではあったが、結局三ヶ月を待たずに二千枚はクリアした。
そして、編集、編集長とクリアしていき、さぁ出版となったとき、「まった」が掛かった。編集長会議からであった。
こんな本は市場に出せない……そんな意見で一致したそうだ。ではとばかりに私は、他の、こういった原稿を好みそうな出版社に掛け合った。
幸いと言うべきか、私のネームで話はトントン拍子に進み、二分冊の大部暴露本が出来上がった。

ある日帰ってくると、留守番電話が一本。
「やってしまいましたね先生、有馬です。これでは友好的関係は築けません。今後一切の原稿持ち込みをお断りします」
……あれ〜、もしかして私はやってしまったのか?

その後、どの出版社を巡っても、私を拾ってくれるところは無かった。
唯一、暴露本を望む荒んだ雰囲気の出版社を除いて。
純文学作家としての私は、暴露本を書いた時点で終わってしまったようだった。

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